紙祖神岡太神社・大瀧神社

しそしん おかもとじんじゃ おおたきじんじゃ

紙祖神岡太神社・大瀧神社_(福井県)越前市観光協会 (1)

 

山頂にある奥の院と山のふもとに建つ里宮(上記写真)からなる神社で、奥の院は「延喜式神名帳」(926年)にも記載されており、日本で唯一の紙の神様、川上御前が祀られています。里宮の本殿と拝殿は江戸時代後期の社殿建築の粋を集めて建てられたもので、幾重にも波が寄せあうような複雑な屋根や至るところに施された彫刻を見るのもおすすめです。昭和59年には、その歴史的記録の確かさと建築の美しさから、国の重要文化財に指定されました。

 

福井県越前市大滝町23-10

0778-42-1151(社務所)、0778-43-0875(福井県和紙工業協同組合)

JR武生駅から福鉄バス南越線「和紙の里」下車徒歩約10分

▼関連リンク

www.echizenwashi.jp(越前和紙の里)

www.washi.jp(福井県和紙工業協同組合)

 

地図


 

 

神社について詳しい解説

 

紙祖神岡太神社・大瀧神社_(福井県)越前市観光協会 (2)●岡太神社・大瀧神社の創建 
岡太神社は雄略天皇の御代(457~79)に創建され、この五箇地区に紙漉の業を伝えた女神「川上御前」を紙祖の神として祀り、「延期式紙名帳」(926)にも記載されている古社です。大瀧神社の創建は推古天皇の御代(592~638)大伴連が勧請したのが始まりと伝えられています。

 

●泰澄大師と大瀧寺
養老3年(719)、平泉寺白山神社を開いた泰澄大師は、この地を訪れ、産土神である「川上御前」を守護神として祀り、「国常立尊」・「伊弉諾尊」を主祭神として「十一面観世音菩薩」を本地とする神仏習合の社を創建、大滝児権現と称して別当山大瀧寺を建立しました。

 

●隆盛と衰退
中世に入ると白山信仰の拠点の1つとして栄え、境内には七堂伽羅が建ち並び48坊の堂塔、社僧700余名を擁し隆盛を極めました。南北朝の動乱や織田信長の一向一揆討伐などの兵火で度々衰退の危機が訪れますが、その後領主となった丹羽長秀や結城秀康をはじめとする歴代領主の保護により再度復興され、社殿の造営、改修が行われました。

 

紙祖神岡太神社・大瀧神社_(福井県)越前市観光協会 (3)●神仏分離令と大瀧神社
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、大瀧児権現は現在の社号である大瀧神社に改称、昭和3年には県社に列しています。

 

●岡太神社は全国神業界の総鎮守へ 
大正12年(1923)には大蔵省印刷局抄紙部に「川上御前」の御分霊が奉祀されて岡太神社は名実共に全国紙業界の総鎮守となりました。
このような世の移り変わりにもかかわらず里人らの両社への信仰は篤く、紙の御加護のもとに紙漉きの伝統を守り続け今日に至っています。

 

紙祖神岡太神社・大瀧神社_(福井県)越前市観光協会 (4)●形容しようのない造形美 
大瀧神社の社殿がある境内を下宮というのに対し、背後にある権現山は山自体が御神体として信仰されていた山で、山頂付近に大瀧神社奥の院や岡太神社本殿、八幡宮本殿が阿並び立ち上宮と呼ばれています。現在の大瀧神社下宮社殿は天保14年(1843)に再建されたもので、拝殿は入母屋、向拝一唐破造、檜皮葺、本殿は大型一間社流造、檜皮葺、拝殿と本殿が一体化した複合社殿で、山の峰を集めたような、あるいは、幾重もの波が寄せあうような屋根、複雑さの中に流があり、重厚さの中に躍動があるなど、形容のしようがない独特の屋根形状です。建物全体に施されている獅子、龍、鳳凰、草花の彫刻も精緻かつ華麗な秀作とされ、昭和59年(1984)に国指定の重要文化財に指定され、更に平成4年(1992)に神門廻廊等が新たに造営されました。

 

●神仏習合の名を残す大瀧神社
大瀧神社は現在でも神仏習合の名を残す神社で、神事が行われる一方で式年大祭(本開帳)や御神忌(中開帳)、法華八講など仏式の行事が行われ、木造虚空蔵菩薩像や木造十一面観音坐像といった仏像も所持しています。

 

▼関連施設

越前和紙の里 紙の文化博物館

0778-42-0016

www.echizenwashi.jp/features/bunka.html

 
岡太神社・大瀧神社特設HP02