千三百年大祭記念・「紙と神」特集

和紙の里に生きる人々。その、紙と神への想い

和紙の里で生きる人々に、
ふるさとの魅力を語っていただきました。

1300年大祭特集

地域で守る紙の里の大切な神社

和紙組合のリーダーが語る

飢饉のさなかに自分たちの食料を捧げてまでも村人たちは神社建設に協力したのです。

 和紙業界を盛り上げる組合のリーダー、石川さん。岡太・大瀧神社について、「建物や彫刻の豪華さだけでなく、何でこんな田舎にこれほど立派な神社が建てられたのかということを知ってほしいですね」と言います。

神社は江戸・天保年間(1830-1844)に建て直されています。この時期は全国的に大飢饉が起こり、この地域一帯でも餓死する人が出ましたが、村人たちは貴重な米を差し出して、神社の建設に協力したという記録が残っています。

それは、製紙業が大きなお金を生み出していたからです。当時の紙は、情報伝達の重要な手段でした。中でも越前の紙は厚く上質で、全国の藩から殿様用として高価な値段で取り引きされていたのです。反面、この紙によって機密情報も管理されていたので、偽造を防止するために、管理体制はとても厳しかったそうです。

越前和紙は江戸城の本丸とも直接取り引きされており、徳川家の保護も受けていていました。紙祖神を祀った神社は、そのシンボルでもあったのです。

一方でこの神社は、土地の氏神様でもありました。地元の人々は毎日の生活の中で神社を崇拝し、大切に守ってきました。現在でも人々の神社への崇敬の念は強く、日常のこととして境内を掃除しに来る年配の方も多いそうです。

福井県和紙工業協同組合理事長 石川 浩

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パンフレットにはない案内を

語り部ボランティアが語る

和紙の里三館(紙の文化博物館・卯立の工芸館・パピルス館)館長 川崎 博

パンフレットには書いてない案内で皆さんに地区をご紹介をしたいですね。

 地元の和紙関連観光施設の館長を務める川崎さんは、観光ボランティアガイドの世話役でもあります。ガイドには、近年忘れられつつある言い伝えや儀式などをまとめた資料が生かされています。

川崎さんはガイドの語り部たちに、「パンフレットにはない地元の人ならではの話をしてほしい」と言っているそうです。例えば神社の紹介なども、住民目線の話を聞くと歴史的な背景が浮かび上がってきます。またイチョウの木は一般には「まな板の木」ですが、紙漉きでは乾燥板として使われていて、日常的に馴染みが深い木です。こんな話を聞くと、観光客も境内でイチョウを見る目が変わるそうです。

他にも神社にある加賀の赤石は、本来「乙女石」と呼ばれていて、加賀藩の外には出さないはずの石で、なぜここにあるかは謎だそうです。こうした情報はパンフレットには記載されておらず、ガイドを務める語り部たちは、定期的に勉強会を開いてこうした知識を学んでいます。

川崎さんは、隣町の農村地帯で生まれ育ちました。今立に来て、住民同士のつながりの強さに最初は戸惑ったそうです。「紙漉きは材料を準備して漉いて売るまで、多くの人が関わる共同作業だからでしょうね。その精神は、まつりや観光のおもてなしにも生きていると感じます」。近年は観光客向けの施設も整ってきた今立地区。「思い出深い時間を過ごしていただけるよう、私たちもお手伝いします」とは、川崎さんからのメッセージです。

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変わらずに受け継がれる儀式

大祭実行委員長が語る

まつりは1300年もの間変わらずに受け継がれている大切な儀式です。

  三田村家は南北朝の時代から藩の御用紙を手がけ、江戸幕府の奉書紙や全国初の藩札を漉くなど、越前和紙の歴史と共に歩んできました。三田村氏庭園は国の名勝に指定され、観光客にも開放されています。

神社について三田村さんは、「2つの神社が摂社や末社ではなく、ほぼ同格で並んで建っているというだけでも珍しい」と言います。まつりに関しても、現在と同じ儀式の様子が古い絵馬に描かれていて、1300年間ほとんど変わっていないことがわかるそうです。「紙漉きという生業を得た今立の人々が、紙の神さま・川上御前に感謝し、守っていかなければという熱い想いがあったからでしょう」と三田村さんは推測します。

大瀧神社は元は「大瀧寺」という寺で、明治時代に廃仏毀釈で神社となりました。そのため、33年や50年ごとの御開帳の時には、仏事も行われています。千三百年大祭でも、天台宗の僧侶30余名による「法華八講」を行われ、観光客も見学できます。

紙業界は生き残りのために、新たな道を模索しています。一方で三田村さんは、洋紙で有名な静岡県の富士市からの来訪者に、「越前和紙は過去もあり現在もあり、アート展のような未来もある。洋紙は歴史が浅く展示するものが限られているので羨ましい」と言われ、ハッとしたそうです。「若い人の感覚を取り入れながらも、誇れる過去を未来につなげていくのが私たちの務め」と三田村さんは語ります。

製紙業・1300年大祭実行委員長 三田村 士郎

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紙と神、未来の今立

次世代の若者たちが語る

柳瀬 翔/ 田 将康/三田村 哲郎

― 神社やまつりについて、思いを聞かせてください。

柳瀬 神社についてはそんなに深い思い入れってないんですよね。紙漉き屋は仕事場に御神体の分身が置いてあって、いつもそこにお参りもしているので。子どもの頃は、神社は遊び場で、まつりは子供神輿を担いでお菓子がもらえる日。大人になってからは、まつりは大変な日です(笑)。

三田村 神輿は重たいからね。五箇の集落を廻る時はいいけれど、山の上にある奥の院への神さまのお迎えとお送りは、山道が急だし辛い。担ぎ手は高齢化しているし、若い人が少ない。僕らの同級生も、ほとんど外に出てしまっているから…。

吉田 奥の院に入る時と出る時は、白装束を着た「白丁」という役の人が神輿を担ぐのがしきたり。あれは神聖な役だから地元の人にしかできないけれど、それ以外は外から担ぎ手を募ってもいいかもしれないね。

柳瀬 白丁が神聖な役だと知ったのは、実際にまつりに関わるようになってからです。同時に儀式の大切さを考えさせられました。

吉田 大滝から出発した神輿は各地区の神社に出向いて、それぞれの神社では随分威勢がいいよね。あれは神様に少しでも長くいてほしくて地区の人が引き止めているって知ってた?

柳瀬 それも実際にまつりに参加するようになってから聞いた。でも次の所で待っている人がいるから、お連れしている担ぎ手は焦る。最終的には予定通り大滝に戻っていただかないと困るし…。そんな事を知って見ていると、面白いよね。

― みなさんは、抵抗なく家業を継がれたのですか?

柳瀬 子どもの頃から仕事場が遊び場だったから。兄2人が出ていったので、「じゃあ」という感じで自然にですね。

三田村 僕は小さい頃からおばあちゃんやひいおばあちゃんに「お父さんの仕事を手伝うんやぞ」と言われ続けて。洗脳ですね(笑)。

吉田 僕は道具を作っていますが、小さい頃の方が思いは強かったかな。でも仕事を始めて、この技術は絶対に残していかなければと思うようになりました。今では道具を作れるのは、この地区では自分のところだけで、県外からも注文が入ります。紙漉き道具は何十種類もあって、作り方を覚えるにも時間がかかります。でも今は道具の修理が大半で、新しく作ることはほとんどないので、体で覚える機会も少ないんです。

三田村 習える人や、作る機会が少ないと大変だなぁ。

吉田 道具は商品にも直接影響してくるもの。正確な寸法で使いやすい道具は、良い和紙づくりに欠かせません。自分も技術はまだまだなので、もっと勉強して、紙漉き屋さんの想いを100%叶えられる道具を作っていきたいです。

三田村 そうだ。頼むぞ。

― 和紙業界の発展について、どう考えていますか。

柳瀬 今の業界の景気は、正直良くはありません。うちは襖紙が主力なのですが、今は建築様式も変わっているので、和室以外でも映えるものや付加価値のあるものを作れないかと模索しています。そうした中でも、均一の厚みを出す技術や模様の入れ方など、今までの和紙製造の技術を生かした製品作りを心がけています。

三田村 産地全体で力を合わせようという動きも盛り上がっていますね。観光客の方にも、とにかく足を運んで和紙の良さに触れてもらおうと、施設も体験型に変わってきています。「神と紙のまつり」も観光客向けのフックのひとつになると思います。

吉田 このまつりにあわせて、青年部では毎年アート展を開催しているんですよ。「×和紙(かけるわし)」というタイトルで、今年のテーマは「白」と「黒」です。僕はこうしたイベントを純粋に楽しんでもらって、その先に「和紙ってすごいな」と思ってもらえたらいいのかなと思っています。

三田村 今立は生産量も全国一ですが、手漉きあり機械漉きありといろんなことができるのが強みです。全国の和紙産地を代表する立場として、技術の継承もそうですが、知恵を絞って売れるものを作り、産地として存続させていかなくてはと思っています。50年先、100年先も今立があるかどうかは僕らにかかっている。責任重大ですね。

紙と神、未来の今立

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